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ポエニ戦役 [趣味]

昨日3月11日は東日本大震災から10年の日でした。あの日あの時刻,事務所のパソコンに向かって仕事をしていたところ,急に大きなな揺れがあり,長い長い揺れが続き電気が止まりました。まず気になったのは,パソコンのデータはどうなったか?明日からの生活はどうなるか?あさましくも自分のことにしか考えが及ばなかったことでした。復電して目にした,釜石に津波が押し寄せた現地の状況に言葉もなく,ただただ唖然とするばかりでした。

そうして10年,あの日起こったことは,まだまだ元に戻ることは難しいでしょう。鎮魂の思いを共有し,未来への思いも共有したいと思います。

鎮魂の次に,今日はいつもと毛色の違ったジャンルの話です。
といっても,私の好みの歴史に関わる古代ローマのことです。

11日の夜9時,NHK・BSの「プロファイラー」,テーマは,ローマ最恐の男・ハンニバルでした。
私が,古代ローマが好きになったのは,塩野七生の「ローマ人の物語」(新潮社刊・1992年から2006年まで1年1冊を15年かけて出版)の第2巻「ハンニバル戦記」を読んでからでした。

ハンニバル戦記*.jpg

この第2巻は,カルタゴの天才的な将軍ハンニバルとローマの執政官を務めた父スキピオ,その息子スキピオ・アフリカヌスとの戦いを描いたもので,単なるものがたりよりも歴史書を読んでいるように,古代ローマに引き寄せられていきました。

よく知られているように,ハンニバルは,象を引き連れてアルプス越えをしてローマに迫るのです。この戦いで父スキピオは負傷し,年若い息子に助けられ,後にハンニバル軍をその息子が討ち破るのです。こうしてアフリカ北部カルタゴはローマに屈服することになります。
アフリカを制した息子スキピオにアフリカヌスの尊称が贈られるのです。
カルタゴとローマの戦いは,「ザマの会戦」など後々戦術のモデルでも登場します。

古代ローマのことになると,新聞でもテレビでもすぐ目がいきますが,ことさらスキピオ親子がローマの歴史の中でも大好きな私です。
好きな音楽でも,組曲「ローマの松」には,「アッピア街道の松」がありますが,すべての道はローマに通ずという言葉があるとおり,ローマの大動脈であるアッピア街道は,ローマの属州や植民地経営,軍用道路として使われたものでしょう。

好きな音楽と,歴史上の人物,事跡はつながっているものです。


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