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はると君 [この人]

暖かい。晴れて+4度。青森市内は,どこもかしこも屋根の雪,家の前の雪の片付けに追われている。

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今日は,友人Gakさん夫妻がお孫さんを連れてお見えになった。
まだ四十代のご夫妻にとっての初孫である。

8ヶ月のはると君,男の子。しっかりとした面差し,将来頼もしい。

Gakさんは,盛岡市に単身赴任中,毎週のように青森に帰るらしい。
会うたびに新しい発見のある孫に会いたいのだろう。

うらやましいのひとことに尽きる。
孫のようなわが子にはまだまだ先,果たして対面できるか?


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沢田としきさん [この人]

今日も暖かい。青空に雲が少し,23度。

青森市出身のイラストレーター,絵本作家の沢田としきさんのこと。

1959年生まれだから私よりひとまわり若い,今年4月27日に51歳の若さで,白血病で亡くなった。

沢田さんは,ご実家が我が家と目と鼻の先,お母さんが健在で,同居のおばの友達で,よく遊びに来る。

月刊ガロにマンガ作品を発表,黒田征太郎の事務所に勤務し,独立後,イラストレーター,絵本作家として活躍した。

1996年「アフリカの音」で日本絵本賞受賞
アフリカの音.jpg

2002年「てではなそう きらきら」で日本絵本賞読者賞受賞
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他に,児童福祉文化賞受賞など

仕事で新町を歩いていると,和田額縁店の事務所に沢田さんの絵,版画が飾ってあり目にとまった。ご主人の話によると,沢田さんが高校生時代からよく額縁を買ったらしい。

9月に回顧展を開催するらしい。東京では,仲間,ファンによる送る会が行われたようだ。
隣の「成田本店」でも彼の出版物を展示している。

新町のアーケードの入り口に,沢田さんの描いた「花」がある。
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まだまだ若い才能豊かな芸術家の死である。しかし,芸術は残る。





タグ:沢田としき

トミオさん [この人]

今日は仙台法務局退職者の会の総会の日である。
私は,昭和59年4月,青森から仙台に転勤した。
勤務先では,バブル最盛期で爆発的に登記事務が増大していた。
個人的な事情で落ち込んでいた私に,声をかけてくれたのがトミオさんだった。
仕事が終わると仲間を誘い,酒を飲みながら,元気づけてくれたのである。

トミオさんは宮城県南部の角田市出身で,現在,大河原で司法書士事務所を開いている。
トミオさんの父親,祖父はもう亡くなったが,お2人とも民謡の師匠であり,血を引いたトミオさんも美声である。
誘われて国分町に行くとなじみの店でカラオケをやる。
それまで,カラオケなど縁のなかったが,少しずつ歌うようになったのはトミオさんのおかげである。

我が家では,トミオさんを「カールおじさん」呼ぶ。
スナック菓子の「カール」のひげの濃い麦わら帽子をかぶった,あのおじさんに似ているというのだ。

今日の総会の出席について,トミオさんに電話をすると,私が出席するのであれば出るという。
お互い出席することになった。

朝,電車で仙台に向かう途中,八戸,盛岡,仙台と,かつての勤務地は晴天である。
車中,自宅からの電話で,トミオさんから,宮城の「ひとめぼれ」が届いたという。
明日の朝食は,角田の新米である。



五竜さん [この人]

このブログに五竜さんは2回登場した?
五竜さんは,宮城県登米市の方である。
公務員時代,私は宮城県内に6年勤務したが,仙台市3年のほか登米町(当時)に3年勤務した。
登米町は,岩手県に近く,宮城県北の人口7,000の小さな城下町である。
その町で,小さな役所の係長をしていたが,昼食の出前を取る食堂のマスターから,おいしい寿司屋があると聞かされ,女房と二人で食べに行ったのが五竜さんとの付き合いの始まりである。
なぜ五竜さんかというと,彼は「五竜寿司」という名で寿司屋を開いていたからだ。以来,我が家では五竜さんと呼んでいる。
なんでも,ある時(40年程前か?)NHKのテレビに銀座「久兵衛」の先代が出演していたそうで,先代の寿司の話にほれ込み,店に直接弟子入り志願の電話を入れたのだそうだ。
その後,修行を重ね,登米町で「五竜寿司」を開店したのである。
因みに,店名は五竜岳からとったらしい。
五竜さんの寿司にほれ込み,毎週金曜は夫婦二人で寿司を食べた。
おかげで,あらゆる食事で寿司が一番好きだ。毎日でもよい。
五竜さんは,現在は店を辞め,実家の納豆製造業をお兄さんとともに切り盛りしている。
彼は人がよく,会計のときには,あまり高い請求ができなかったのではないかと思っている。

そのこともあって,うちの息子が東京の大学に決まったとき,我が家の入学祝いは,銀座「久兵衛」と決めていたのである。

その後,私は宮城県を離れたが,五竜さんとの交流は続き,その縁で毎年宮城の「ひとめぼれ」を通年食べることができる。感謝,感謝である。

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