おじのこと [故郷]
私には,昭和3年生まれのおじがいる。
おじは,昭和15年ころ,いわゆる「満蒙青少年開拓義勇軍」として,旧満州に渡った。
おじは,郷里の同年代の何人かと一緒に満州に渡ったのだが,あるとき,学校で,板柳町小幡出身で
満州で活躍している「工藤忠」という人の講演会があり,若者の大陸での活躍を訴えたというのである。
この人の話に打たれて満州に渡ったらしい。
ところで,「工藤忠」氏は,本名「鉄三郎」といい,樺太(サハリン)から凍結した間宮海峡を徒歩で
越えて大陸に渡ったのだという。その後,馬賊となり(おじの話),清王朝最後の皇帝「溥儀」の侍従長
になった人である(「溥儀の忠臣・工藤忠(忘れられた日本人の満州国)」朝日選書)。
おじが満州に渡るころは,工藤忠は,板柳町の英雄だったに違いない。
ラストエンペラー溥儀は,日本陸軍による傀儡だったのだが,工藤忠は,日本帰国後も溥儀に忠節を
尽くしたらしい。ちなみに,忠は,溥儀に賜った名である。
おじは,戦後,日本に帰り,下北半島の原生林の開拓農となった。
離農する人の土地を引き受け,現在は,肉牛の繁殖,高冷地野菜,長いもなど,大規模に開拓農業を
成功させ,長男が引き継いでいる。
かつて,満州に青雲の志を向けた気概がそうさせたのかもしれない。
私にとっては,尊敬できるおじである。
朝日選書を読み,小学校5,6年の頃を思い出した。
確か,学校のグラウンドの一角に,工藤忠の功績を讃える石碑が建てられたのではなかったか。
何分小学校時代のこと,50年も前である。千葉にいる工藤忠氏も板柳に帰省したはず。
と,古いことを思いながら,かつての小・中学校の跡地を訪ねると,確かに立派な石碑が建っていた。
昭和34年12月建立とある。
おじは,昭和15年ころ,いわゆる「満蒙青少年開拓義勇軍」として,旧満州に渡った。
おじは,郷里の同年代の何人かと一緒に満州に渡ったのだが,あるとき,学校で,板柳町小幡出身で
満州で活躍している「工藤忠」という人の講演会があり,若者の大陸での活躍を訴えたというのである。
この人の話に打たれて満州に渡ったらしい。
ところで,「工藤忠」氏は,本名「鉄三郎」といい,樺太(サハリン)から凍結した間宮海峡を徒歩で
越えて大陸に渡ったのだという。その後,馬賊となり(おじの話),清王朝最後の皇帝「溥儀」の侍従長
になった人である(「溥儀の忠臣・工藤忠(忘れられた日本人の満州国)」朝日選書)。
おじが満州に渡るころは,工藤忠は,板柳町の英雄だったに違いない。
ラストエンペラー溥儀は,日本陸軍による傀儡だったのだが,工藤忠は,日本帰国後も溥儀に忠節を
尽くしたらしい。ちなみに,忠は,溥儀に賜った名である。
おじは,戦後,日本に帰り,下北半島の原生林の開拓農となった。
離農する人の土地を引き受け,現在は,肉牛の繁殖,高冷地野菜,長いもなど,大規模に開拓農業を
成功させ,長男が引き継いでいる。
かつて,満州に青雲の志を向けた気概がそうさせたのかもしれない。
私にとっては,尊敬できるおじである。
朝日選書を読み,小学校5,6年の頃を思い出した。
確か,学校のグラウンドの一角に,工藤忠の功績を讃える石碑が建てられたのではなかったか。
何分小学校時代のこと,50年も前である。千葉にいる工藤忠氏も板柳に帰省したはず。
と,古いことを思いながら,かつての小・中学校の跡地を訪ねると,確かに立派な石碑が建っていた。
昭和34年12月建立とある。
タグ:工藤 忠 満蒙青少年開拓義勇軍
岩木山 [故郷]
朝から晴れ,今日は弘前市に住むsayuさんのお見舞い。
肝臓を悪くし入院中だ。公務員生活の初めからのお付き合いである。
3歳年長で,兄貴のように面倒を見てもらった。今年の暑さで参っている。
何度も何度も握手をしておいとました。早く回復すればよいが。
青森から弘前に向かう途中は,岩木山は山頂にふわっと雲を被っていた。
入院先の病院を出,帰りは岩木川の土手に抜けると,岩木山が山頂まできれいに
見えている。このような姿は,なかなかお目にかかれない。少し引き返し「富士見橋」
のたもとで写真を2枚
最初は,70mmで
次におよそ50㎜で
このまま青森にトンボ帰りするには惜しい。このような岩木山はめったにない。
郷里,板柳からの岩木山の姿を見てみたい。
板柳の岩木川の土手を走った。子供の頃遊んだ場所,広い土地だったような記憶だが,
こんなに狭かったか。
りんご畑から岩木山を望む
青りんご
まだ色づいていない。「ふじ」だろう。夏の暑さの連続で品質低下が心配されている。
今日も暑いが,昨日よりは1,2度気温は下がった。もう少し下がれば申し分ない。sayuさんのためにも。
肝臓を悪くし入院中だ。公務員生活の初めからのお付き合いである。
3歳年長で,兄貴のように面倒を見てもらった。今年の暑さで参っている。
何度も何度も握手をしておいとました。早く回復すればよいが。
青森から弘前に向かう途中は,岩木山は山頂にふわっと雲を被っていた。
入院先の病院を出,帰りは岩木川の土手に抜けると,岩木山が山頂まできれいに
見えている。このような姿は,なかなかお目にかかれない。少し引き返し「富士見橋」
のたもとで写真を2枚
最初は,70mmで
次におよそ50㎜で
このまま青森にトンボ帰りするには惜しい。このような岩木山はめったにない。
郷里,板柳からの岩木山の姿を見てみたい。
板柳の岩木川の土手を走った。子供の頃遊んだ場所,広い土地だったような記憶だが,
こんなに狭かったか。
りんご畑から岩木山を望む
青りんご
まだ色づいていない。「ふじ」だろう。夏の暑さの連続で品質低下が心配されている。
今日も暑いが,昨日よりは1,2度気温は下がった。もう少し下がれば申し分ない。sayuさんのためにも。